1978年受洗
1980年 中央聖書学校入学
1983年 中央聖書学校卒業
1983年 OM宣教師として海外へ
1988年 帰国
1988年 牧師として就任
1992年 シャロームキリスト教会開設
1994年 シャロームキリスト教会主任牧師就任
2021年 シャロームキリスト教会主任牧師
2021年 食卓改善アドバイザー認定資格
体験談
九州大分県出身
美しい海とサンゴ礁、澄渡る大空に囲まれて海に山にと走りまわった幼少期 ♪めぐる○○の海深く、育つたまです真珠です。輝く波に瞳をいだき♪ と、小学校校歌を歌いよく遊び、よく食べ、よく学び??底抜けに明るいといわれながら成長しまた。
ところが16歳の夏、突然難病にかかり、苦しんでいた時、図書館の司書の方が良い本だから読んでみてとすすめられた本が三浦綾子さん著作「塩狩峠」でした。 塩狩峠を読みキリストを信じる人の生き方に深い感動を覚えました。
以来何か信じるならキリストを信じると決意しました。しかし、信仰を持つと、何か束縛されるようで嫌だったので歳をとってお婆ちゃんになったらと考えていました。 数年たって生きることに疲れ「本当に真の神がいるのか」と自らキリスト教会に行った。本当に神がいるなら私を救えという粗さがしであった。
初めての教会
初めて教会の礼拝に行った。静かな中、足踏みオルガンを弾く着物を着たおばさん。
みんな座布団に正座し敬虔な姿勢で何やら祈っていた。
緊張しながら座った。つばを飲み込む音も聞こえる様な静けさの中、一人の男性が出てきた。
そして元気な声で挨拶をしたかと思うと大きな声で賛美しだした。
知らない曲で面食らった。極めつけは、それまで歌っていた賛美歌とは全く違う
ハイテンポなリズムで踊りながら歌いだしたことだ。
するとそれまで静かに歌っていた、お婆ちゃん達が座布団からはみ出し立って踊りながら「 ♪喜び歌えシオンの娘よ~楽しめ(^^♪ 」とピョンピョン跳ねながら歌っているではないか。( ;∀;) 目が点になった。
そして賛美が終わったら司会の男性が「お祈りをします。こうべをさげて下さい」と言って何やら
お祈りした。
続いて今日のみ言葉を開いて下さい。・・・・後は何が何だかわからず、難しい名前を言って開いた。
足はしびれるし眠くはなるし、早く終わって欲しいと思った。
やっと終わったと思ったら「こうべを垂れたまま今日イエス・キリストを信じたい人は挙手??して下さい。」と言い出した。
よもや自分に語られているとは知らず、静けさの中に何かしらプレッシャーと緊張を覚えた。
やっと終わった。
「もうこんな場違いな所、二度と来ないと思った。」 (>_<)
早く帰りたいのだが足がしびれて立ち上がれない。すると一人のお婆ちゃんがやってきて
「山田さんの上にイエス様の平安があります様に。」と言った。
しわしわの顔が輝いていた。
このお婆ちゃんは、豆腐屋のお婆ちゃんではないか。クリスチャンだったのか。
なんでこんな嬉しそうな顔をしているのだろうか?
(*'▽') 平安って何? これが知りたいと思った。
帰りぎわ私の中学生のクラスメートがクリスチャンになっていて礼拝に行っていた。
そのHさんがいきなり「これ読んでみて」と言って新品のリビングバイブルという本をその場で買い私にプレゼントしてくれた。
クリスチャンのきっぷの良さに驚いた。
しかし内心 〃これは困った〃 これを貰ったら来週も来ないといけなくなるし
でも折角の好意を無にしては悪いしと思った。とっさに「 これ位の厚さの本だったら来週までに読めます。」と言ってしまった。
聖書は生きているの?
前回は初めて教会の礼拝に行き、リビングバイブルと言う本をプレゼントされてしまった。
もう二度と来ないと思っていたが、クリスチャンのきっぷの良さに気をよくした私は早速帰宅してリビングバイブルと言う本を読んでみた。
1ページ目からカタカナ文字( ;∀;) の外国人の名前への系列に、また多くの病人の癒しや奇跡、果ては悪霊や霊とか信じられないような事が書いていた。
水曜日になっても、未だ半分も読めてなくため息がでた。
私は本を読む方だったので、これ位の本だったら三日、四日で読む自信があった。
大体、本は前書きと目次を見て結論を読めば流し読みが出来るものだが、このバイブルは一字一句読まないと前に進ませてくれない。
読みながら本に向かって腹を立てた。「この本はいったい何者!(*'▽') 」と叫んでしまった。
何か目に見えない大きな力があり、飛ばし読みをさせてくれない。
「まるで生きているようだ。」と感じた。土曜日の夜中12時前にやっと読み終えた。
良かった。これでHさんの好意を無駄にしないですんだ。
明日、胸を張って教会に行けるぞ!
バイブルを読み終えての感想はイエス・キリストって宇宙人みたい!
何やら十字架にかかり、死んでから生きかえったとか、霊とか悪霊とか、お祈りとか、私にはとても信じられない。
しかしバイブルを読み終えた時に疲れなかった。こういう経験は初めてであった。
次の日、目覚めたときに体が軽かった。さあ教会に行って報告しよう!
*二回目の教会礼拝*
教会の礼拝に再び出席した。一度行くと初めての時と違い少しリラックスできた。
礼拝のメッセージは相変わらず難しくこの世離れした話だった。
礼拝後、リビングバイブルをプレゼントしてくれた友達に
「約束したように新約聖書を全部よみました。」と伝えたら何か驚いたように黙ってしまった。
これに気を良くし、毎日のように聖書を読み続けた。
「分かっても分からなくても読むことが大事だ」と助言されたからと、それ以上に「本当に神はいるのか?」「いないのか?」知りたかった。
神がいなければ苦しいだけの人生は生きる意味がないと、生きることに疲れ休みたかった。
「生きるか?死ぬ?」の瀬戸際で必死に神様を捜した。
*教会に行き続け*
教会の礼拝に数回行きだして夜寝るのが怖くなくなり眠れるようになった。
と言うのも、教会に行く前の私が、何故夜のるのが怖かったかと言うと、怖い夢を毎晩見たり金縛
りにあったりで朝方の4時位まで本を読んで明るくなったら寝るという夜と昼が逆転したような生活をしていた。
またその頃は近所の人と顔を会わせるのがおっくうになっていた。プチ引きこもりで心身共に疲れ切っていた。
それ以上に問題を抱えていた。私は難病にかかり八年目になっていた。
その間、父が癌で急に亡くなった。大好きな父の死は人間は必ず死ぬんだという事を現実に感じたときだった。
” 苦しいからはやく死にたい” という願望と裏腹に ”死んだらどうなるのだろうか ” 墓の中に
入れられてそれからどうなるんだろう・・・・。と死が怖くもあった。
*不思議な体験*
教会に行きだして一か月過ぎた頃、夜寝ているときにシビアな夢を見た。
鍾乳洞のような出口のない湿地帯に、いのちがないような沼に生汗をだして落ちない様に膝をかがめてやっとの所に踏ん張っている私がいた。
今にも落ちそうなときに、この世では見たことのない一人の人間のような体とライオンのような獅子
があらわれた。見ると光り輝く剣を口にくわえていて私に渡してくれた。
その瞬間に鍾乳洞のような暗くいのちのない場所から、柔らかな日差しの木の下に一瞬にして
私は連れ出されていた。昼間だった。緑の木々が優しいそよ風を運ぶ景色だった。
この日以来、夜怖い夢を見ることがなくなった。また金縛りもなくなった。不思議な体験だった。
今でもはっきり覚えている。この時、霊には怖い悪い霊的存在と、明るい?希望ある助けてくれる
霊的存在がある事を知った。
この体験を境に ”聖書を読むと理解できる方が多くなり”真の神様がどんな方か知りたい一心でがむしゃらに読んだ。
私の価値??
毎週礼拝に行きだして教会の人達が会う度に「山田さんは、神様に愛されているんよ。」と言って
くれた。
「神様に愛されている。」本当にうれしかった。(^。^)y-.。o○
そんな事を言ってくれる人は、今までいなかったので ” すこし気恥ずかしい ” でも何だか分からないけど ” うれしい ” 思わず笑みがこぼれる。(*^_^*)
幼い時に祖母から ” ゴミ ” 橋の下で拾ってきた ”など男尊女卑の強い地域に育った祖母や
回りの家族の考え方が、私に低いセルフイメージをつくり大人になった。
だから
” 神様に愛されている ” 母の胎にいる時から私の名を呼んだ ” あなたは高価で尊い ”
と、私のことを愛してくれる神様の愛が ” 両手いっぱいひろげて ” 私を受け入れてくれたのが
わかった。
価値観には
①能力の価値観と、②存在の価値観がある。私は教会に来て初めて聖書を読み
私はわたしで良かったんだ、私は神様に造られた世界で一つの尊い作品なんだ、
私は生まれてきてよかったんだ。と言うことがわっかた。
やっと自分の居場所が見つかったように感じた。それから、自殺とか自死とか考えなくなった。
” 父なる真の神様の、ひろく、大きな、両手いっぱいの愛の中に百パーセント信頼できた。
私は母とは口論する事が多かった。ヒステッリクな口調で私の失敗をなじったり、辱めたり
脅したりした。むろん母にはそんな悪意はなく躾と思っていたようだが、私は母が嫌いだった。
しかし、父は優しくどんなに仕事で疲れて帰ってきても勉強を見てくれたり、母と不仲になると
父に切々と訴えた。
と、いうバックグランドがあったせいか、父なる神様の愛は疑いもなくスート入ってきた。
父なる神様を信じ信頼してから、私は自分の存在価値に気が付きそれから、だれとも比べなく
なった。私は ” わたし ”で良いのだ。
生きる自信になった。